「わたしのマンスリー日記」第17回 「死なないでください!」
「人生最大の岐路」
山口さんと本格的な交信を始めたのは、今年(2024年)になってからのこと。山口さんがFacebookに「私は、つらくて消えてしまいたいと思っていました。けれど、谷川先生が私を見つけてくださいました。谷川先生の言葉は、私の心に優しい光をふりそそいでくださいました。必ず乗り越えます」と書き込んだのは、1月17日のことでした。
私は彼女に特別な言葉を投げかけたわけではありませんし、特に彼女を「見つけた」わけでもありません。ただ当初から、彼女には「何かあるな……?」と感じていたことは事実です。そんな意味合いで今後交流しましょうと声をかけたに過ぎません。しかし、それが教頭職を辞するか否かといった大事であるとは夢にも思いませんでした。
私が入院で生き地獄を見たのは2月1日(木)から15日(木)までの2週間でしたが、この期間に山口さんも人生を変える一大決意をしたというのです。そのドラマをFacebookとメールでの交信で紹介することにします。
山口さんから悩みを打ち明けられたのは2月4日(日)のことでした。私が苦痛にのたうち回っている最中でした。
【山口→谷川(2/4.10:17)】
谷川彰英 先生
こんにちは。鹿児島市で小学校の教頭をしております山口小百合です。何に悩んでいるのか、先生にお話したいのですが、整理がつかないでいるところです。
実は、教頭を辞するかどうかを悩んでいます。自分には向いていないことを痛感しています。業務量の多さよりも、学校内外のいろんな人のいろんな考えを受け止める立場であることがメンタルに影響しています。毎日、人知れずがんばってはいても、思いやりをもって動いていても,理不尽なことが重なると悲しくなります。過去には暴言や無視、勝手な思い込みによる誹謗中傷など、心折れる出来事もありました。業務改善や授業改善など組織的な取組をもっと進めたいのですが、教頭としてうまく立ち回れず、自責の念に苛まれ続けています。
今の学校には貴重な宝物があるのです。30年前に、PTAが作った郷土資料室です。寄付金や農具を3年間かけて集めて、創立100周年記念事業としてつくられたものです。
ちょうど鹿児島8・6水害の時です。埋もれて掘り起こした農具もあります。水害でシラス大地が流されて、2万2000年前の炭化木が出てきました。
収められている農具の数も多く、昔の農家の居間も再現されており、学校がこのような資料館並みの規模の資料室を有していること自体、特有で貴重だと思います。
しかし、残念ながら、長い間、物置になっていました。「ふるさとの館」を復活、再生したいという地域の方々の願いと民具や歴史が好きな私とが、運命的に出会いました。
ふるさとの館を悲願として、地域の方々と立ち上がったのです。今年が創立130周年なので、この記念事業として取り組もう! 今、自分たちがやらなければ、この先誰もやらないし、郷土の宝を失ってしまうとの思いです。しかし、周年事業への思いには温度差があり、全員でビジョンを共有し、合意形成していくのは大変なことでした。
コロナ禍であらゆる活動がなかったことからくる負担感や、業務改善で学校職員と保護者と地域が直接話し合う時間をもてないことなど、難しい状況がありました。
たくさんの人々が協力し合って取り組み、子どもたちや地域住民など多くの方に楽しんでもらうことができましたが、もやもやを残してしまいました。
プライベートでもつらいことが重なりました。
親しくしていた仲間で集まる約束をしていたのですが、私だけ呼ばれませんでした。「山口さんには心が動かないからしょうがない。スポンサーや団体の推薦もないし。井の中の蛙は井の中の蛙のままでいた方が幸せだよ」と言われました。「豪華メンバー」と言って、仲良く楽しそうにしている人たちを見て、泣くしかありませんでした。本を書く依頼をされて、一緒に仕事ができることを心から楽しみに待っていましたが、何も連絡がないままです。そしてどんどん冷たくなり、恨み言を言ったら疎まれて、縁を切られてしまいました。
もう一人、ずっと一緒に学んできて尊敬し信頼してきた人がいました。一緒に学び、愛称で呼び合い、長い間、たくさん語り合ってきた大切な存在でした。変わり者で不器用な私のよさをわかってくれて、私が唯一心を開いて本音で話せる人でした。
しかし、次々に新しい出会いがあり、絶え間なく刺激的な日々を送るその人は、一緒に計画していた約束をキャンセルして、(もういろいろ動いて準備をしていた)別の人たちとの交流に夢中になりました。毎日来ていたメッセージも来なくなり、ここには書けない様々な悲しいことばかり続きました。
2人とも親友と言ってくれた人たちです。一緒に過ごしたたくさんの楽しい思い出があります。私にはかけがえのない心友でした。苦境の中を踏ん張って来られたのも、2人のおかげです。それが、別の人から「しつこいファンの人さようなら」と言われて衝撃を受け、完全に心が折れてしまいました。
私以外は、ずば抜けた才能をもち、全国的な人気者です。初めから世界が違うんだ。私は実力もないし、会話が苦手だし、一緒にいても楽しくない人間だから責めてもしょうがない。そもそも恩も縁も忘れて、簡単に人を切りすてる人たちにとって、私は友達などではなかったのだろう。それ以来、あらゆることに自信をなくし、泣いてばかりいました。私はただ、一緒に学んでいたかったです。
そんな時、谷川先生が、「直感です」と言ってくださいました。私に、価値があると言ってくださったのです。そして、交流したいと言ってくださったのです。
どれだけ嬉しかったか。何度も泣きました。
先生の書かれた文章を拝読して、先生から学び、受け継いでいきたいと思うようになりました。
「足もとに授業のたね〜地域を生かす授業〜」
というテーマで、福岡で、15分だけ登壇する機会をいただきました。たった15分ですが、久しぶりにいただいた、私には大事な挑戦の場です。谷川先生の書籍から、自分の実践を省察して、おもしろいと思ってもらえるような提案にしていきたいです。
過去にとらわれず、前を向いていかなくちゃと思っています。こんなことで悩んでいる、ちっぽけな人間です。家族がいなければ、消えたいと思っていた人間です。
先生、ありがとうございます。必ず乗り越えます。
山口小百合